PS3に必要なものは『処理能力の高さ』なのだろうか。
■Playstation 3の開発用マシンを見てきた - パースペクティブ・アイ
IT mediaのblogで本田さんという方がPS3の開発用マシンについてレポートが書いていた。
エントリを読んでいてふと考えた。強大なコンピュータパワーや、緻密なシミュレーション、そして従来にないリアルな表現が興味深いテーマであるのは確かだ。だが、今もまだユーザは「もっとリアル」を求めているのだろうか?
例えば、F1ゲームで現実を精緻にシミュレートし過ぎたら現役のF1ドライバー以外は楽しめない代物になってしまうだろう。リアルさとゲームの面白さは単純な比例関係にないことは明らかだ。(これは、ゲームをよくプレイされる方にとっては明白なことだと思う)。
ちょっと乱暴な言い方をすれば
- ゲームのジャンルごとに『これ以上リアルになっても楽しさにつながらない境界』が存在する。
- 現在でも、多くのゲームは既にその境界に到達している
のではないかと私は感じるのだ。*1
ではなぜ、ゲームマシンはマシンスペックを競い、互いに映像のリアルさをアピールしているのか。
私は、『処理能力*2が優れているのが良いマシン』だった時代の名残だと考えている。そして、それはもう時代遅れのアピールではないかとも思いはじめている。
かつて、ゲームマシンの処理能力が十分でなかった頃、ゲーム内の映像・音楽等の表現はチープなレベルで妥協せざるを得なかった。その時代、マシンの処理能力の向上はユーザからもソフトメーカからも歓迎された。それは、ゲーム製作の足かせがなくなることに他ならなかったからだ。"今までにないリアルさ"は"今までにない新しさ"、"今までにない刺激"を約束していたし、結果として"今までにない面白さ"が期待できたのだ。当時は。
では、2005年の現在はどうだろう。
「今までにない処理能力」で「今までにないリアルさ」を作ったとして、果たして「今までにない新しさ」、「今までにない刺激」を生み出せるだろうか。それが可能だとして、『今までにない面白さ』が期待できるのだろうか。
これについては、私は懐疑的だ。ゲームユーザの多くも、疑問を持ち始めているのではないだろうか。*3
《時間がないので今日はここまで。後日、処理能力以外の何がゲームマシンに必要か、自分なりの考えを記述する予定》